今回は適当に思い付いた話を書くだけだ。

何を思い付いたか?というと、人間の幸福は進捗感で決まるんじゃないか?というような話である。

人間、進捗感を持って生きる事が重要ではないだろうか?毎日が同じことの繰り返しで進歩が無いと感じるのはかなり不幸だ。「いや、メシが食えなくて餓死しそうな状態の方が不幸じゃね?」と言われるとそりゃそうだが、じゃあ飯が食えていて健康な状態において、という前提とする。

進捗感が全くない状態を、停滞感と呼ぶことにするが、停滞感の最たるものの例が、ネットで有名な「穴掘り拷問」だろう。囚人に、まずでっかい穴を必死こいて掘らせて、掘ったらまた埋め戻させる。そしたらまた掘らせて…と同じ事を繰り返させると囚人は発狂してしまうとかなんとか。

いくら飯が食えていて健康でも、停滞感はそれほどキツいわけだ。

そして、”自分の進捗←→他人の進捗”の軸と、”現実の進捗←→架空の進捗”という二つの軸で進捗感について考えると何かが分かるかもしれない。

自分の、かつ現実の進捗感を持って生きるのが一見良さそうだけど、実際にはなかなかそんな映画の主人公みたいな人生を送れる人はいない。

他人の進捗を求めるって何じゃ?というと、例えばスポーツ観戦とか選手の応援なんかは他人の進捗を眺めてる。

アイドルのファンなんかも他人の進捗だろう。

他人の進捗の最たるものとしては、自分の子供の成長を見守る事だろう。大抵の人が経験する事だ。

子供やスポーツ選手、アイドルは現実に実在してるのだから、架空か現実かで言えば現実だろう。

アニメキャラは現実に存在してないから、アニメの物語は架空の進捗と言えそうだ。

スポーツ観戦をバカにするアニメファンというのは、自分じゃなくて他人の進捗を求める事をバカにしてるのかもしれないが、それで言うとアニメなんか他人の進捗なうえに架空の進捗なんだからもっとバカげてると言われてしまうのではないか?